キュビズムは作家と画布/美術の枠内に留まったが、未来派宣言は閉塞状態にあった若者たちに刺激を与え、強力なイデオロギーとしてヨーロッパ中を駆け巡った。詩人シェルシシェネービッチによってロシア語にも翻訳され、1910年4月、後にロシア未来派の旗手とされる詩人フレーブニコフらの刊行した文集『裁判官の飼育場』に『未来人』という造語が用いられた。1912年には、文集『社会の趣味への平手打』の巻頭に<ギレア>グループによるロシア未来派宣言といえる文章が掲載された。
2004年9月18日(土曜日)
2004年9月16日(木曜日)
ロシア・アヴァンギャルド(3)
2004年9月15日(水曜日)
ロシア・アヴァンギャルド(2)
マリネッティの宣言文に続けて、ベンヤミンは語る。
この宣言文の長所は明快という点である。弁証法的な思想家も、こうした明快な問題提起のしかたは学んでもよい。しかし、弁証法的に考える人間には、現代の戦争の美学もマリネッティの把握とはちがってくる。すなわち現在の所有関係に基づく秩序によって、生産力の自然な利用が抑制されると、生産力は不自然な利用を求めるようになる。これは、技術の発達・テンポ・動力源の増大からくる当然のなりゆきである。不自然な利用とは戦争にほかならないが、戦争のすさまじい破壊力を考えるならば、これでは、現代の社会が技術をつかいこなすにはまだ未熟であり、技術のほうも社会の基本的な諸力を十分操縦出来ないことを裏書きしているようなものである。
2004年9月14日(火曜日)
ロシア・アヴァンギャルド(1)
『複製技術時代の芸術』のあとがきでベンヤミンは、エチオピア植民地戦争にたいする、イタリア未来派の首唱者マリネッティの宣言文を引用している。
われわれ未来派は、二十七年まえから、戦争を醜悪なものだとする考えかたに反抗してきた。・・・・・われわれはここにあらためて確認する・・・・・戦争は美しいものであると。なぜなら、ガスマスクや威嚇用拡声器や火焔放射器小型戦車によって、人間のちからが機械を支配していることを証明出来るからだ。戦争は美しい。なぜなら、人間の肉体を鋼鉄につつむ夢がはじめて実現出来るのだ。戦争は美しい。なぜなら、花の咲きみだれる野を、火をふく機関砲の焔の蘭でかざることができる。戦争は美しい。なぜなら、銃火と砲声、死の静寂、芳香と腐臭をひとつの交響楽に統一することができる。戦争は美しい。なぜなら、大型戦車や編隊飛行機のえがく幾何学的な図形、炎上する村落から立ちのぼる煙のらせん模様など、新しい構成の美が創造されるからだ。・・・・・未来派の詩人や芸術家がこうした戦争美学の根本原理に留意するならば、新しいポエジーや新しい造形を求めるわれらの苦闘は、それによってかがやかしい光を浴びるであろう。
53 queries. 0.130 sec.
Powered by WordPress Module based on WordPress ME & WordPress



