2008年9月25日(木曜日)

オープンよりもフリーが良い

カテゴリー: - artNOMAD @ 02時40分28秒

ZAIMでの国際自由メディア大学では、カウンターカルチャーが進化してフリーカルチャーになったというレクチャーをしました。この国際自由メディア大学は東京藝大の毛利嘉孝さんと立ち上げたのですが、その際、毛利さんから「フリー」については「自由」よりも「無料」ということに着目したいと言われ、目から鱗な感じで「フリー」を再考しています。(以前から、宮沢賢治『農民藝術概論綱要』の「職業芸術家は一度滅びねばならぬ。誰人も皆芸術家たる感受をなせ」に共感を持っていましたし、通貨と芸術との関係も考えていたのですが、「フリー」とは別の文脈でした。しかし、これで繋がってきたようです。)

ストールマンフリークのボクとしては『フリーソフトウェアの定義』にある、<「フリーソフトウェア」で問題とするのはいわゆる「自由」であり、価格ではありません。>が「フリー」に関しての基本的な考えだったのですが、「アート」に応用しようとすると、どこかすっきりしないところがありました。ピカソが藤田嗣治の作品を30分眺めていたことについて、「ピカソが自分から盗んだ」と自伝に誇らしげに書いていますし、ブラックはピカソの真似をしてキュビズムの巨匠になったし、もともと「アート」は「自由」であるものとされています。新自由主義なんてものもあって、しじょうしじょうしゅぎなんて好きになれないし、これだけのマスコミの洗脳作戦、コマーシャリズムな一億総XXの中で見えざる手なんてあるもんか!あってもボクの役には立たないと、なんだか煮え切らない感情がそこにはありました。

オープンソースという考え方に関しても、そもそもアートにソースはあるのか?ソースがあったとしても(逆)コンパイラは作家自身ということで、コンピューター・プログラムを作品として用いる以外使えそうにありません。音楽に関しては「楽譜」がソースであるとも言えるでしょうが、「楽譜」を見なくても、音楽を聞いただけでもそれなりにコピーできるように、音楽も元々オープンなものでそれは変わりようがありません。ICCのHIVEに、「アートのオープンソース化は可能か?」というパネルの記録がありましたが、設問自体に無理があり、「デジタル複製技術時代の作品に“アウラ”は可能か?」のような話しになってしまっていました。ブルース・ペレンスが定義したオープンソースという言葉自体、「フリーソフトウェア」では、そこにビジネスチャンスがあっても「無料」が強調され、資本家が躊躇してしまうのを避けるために作ったようなものなのですが、名称や定義を少し変えることによって、自由から乖離してしまったようです。そのことに関して、ブルース・ペレンスは「今こそフリーソフトウェアについて再び語るべきときだ」で懺悔さえしています。

クリエイティブ・コモンズはその点、作品などにも適応できるよう、よく考えられていますが「Richard Stallman、P2Pを語る」にもあるように、許諾範囲を拡張しすぎた感は免れません。分かりやすく、ライセンスも付けやすいのですが、「改変禁止」を指定できたり、「継承」を付けなくても良いなど、フリーから逸脱している部分があるように思えます。自由を求めているのなら、お勧めは「表示 - 継承」か、「表示 - 非営利 - 継承」です。間違っても「改変禁止」は付けてはいけません。

元々、「GPL」や「コピーレフト」は「ソフトウェア」についてのライセンスや運動であって、アートなどの作品にそのまま応用してしまうと、おかしなことになりそうです。「GPL」や「コピーレフト」を拡張して考えたところに「クリエイティブ・コモンズ」の「フリー」からの逸脱があるのかもしれません。

「フリーアート」の文脈では、「自由」よりも「無料」を重要視することで「フリー」から逸脱せず、ひとつのカルチャーを創造できます。しかし、たとえば一点もののタブローなどを無料で誰かにあげてしまうことはお勧めしません。入場料無料の美術館に常設されるようなことでもなければ、それはクローズドで不自由なものになってしまうからです。その意味で、デジタル化などされたコピー可能なものについては「無料」のほうがより良いのです。そうすることで作品の置かれる世界や可能性は格段に広がるのですから。また、デジタル作品などを「無料」にしたからといって、売れないわけでも無いですし、どうやっても収入を得る方法がないわけではありません。信用創造という言葉からも伺えるように、コミュニケーションと経済は同根です。宮沢賢治『農民藝術概論綱要』の一節、「創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう」という方法論が、デジタルやインターネットによって実現可能になってきたように思います。

あとは実践あるのみです。

追記:ところでボクの一番好きな詩人は、中原中也と宮沢賢治です。宇多田ヒカルも同じだそうで、他にそんな人を知らないので、機会があれば語り合いたいところです。さすがにそんな機会は無いのでしょうが、、、 :-)


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