国境線
わたしは米軍基地のある町に暮らすことが多い。現在も東京にある横田基地周辺の、いわゆる米軍ハウスで暮らしている。以前は横須賀に住んだこともある。なぜそんな居心地の悪い場所や家に住もうとするのか。絵を描く関係で、安くて広い家を借りたいということは理由としてあるが、そんなことは思いつき以上のものではない。もちろん、米軍の日本での活動を監視するつもりもなければ、脱走兵を匿うつもりもない。敗戦国としての日本の在り方を知りたいと思っているのか?ないがしろにされている太平洋戦争の総括をしたいと思っているのか?と、心に聞いてみたこともあるが、どうもそういうことではないらしい。
砂漠について考えながら、私は国境というものを知りたがっているのではないか、ということに気付いた。米軍基地との境にある金網や薄っぺらなコンクリートの板塀を除けば、日本の国土には国境がない。このあたりに暮らしていると米兵の友人もできる。誕生会などで基地内のマンションに呼ばれることもあった。基地内はカリフォルニア州だそうだが、ゲートを通るとき国境線を越えたという実感はなかった。むしろ六本木ヒルズの回転ドアに、はっきりとした境界を感じる。
*その後、横田の友人は軍隊を辞めアメリカに帰った。現在は、水質調査の会社に就職して元気に働いている。
また、数年前にイタリアからポルトガルまで列車で一気に横断したことがあった。確かユーロ発行の年だ。国によってまるで景色が変わることや、フランスとスペインの国境近くの町ではフランス領土なのに住人はみんなスペイン語を話すことに驚いたが、そこでも国境という境界をはっきりと感じることは無かった。
地図に書き込まれているような国境という境界は現実には存在しない。
砂漠のことを考えていると、日本人としてたどり着くのは、やはり安部公房の「砂の女」だ。単行本のカバーには、以下のような紹介文が綴られている。
「鳥のように飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。飛砂におそわれ、埋もれていく。ある貧しい海辺の村にとらえられた一人の男が、村の女と、砂掻きの仕事から、いかにして脱出をなしえたか‥‥‥色も、匂いもない。砂との闘いを通じて、その二つの自由の関係を追求してみたのが、この作品である。砂を舐めてみなければ、おそらく希望の味も分かるまい。」
現状に当てはめてみると、「鳥のように飛び立ちたいと願う自由=アメリカ」、「巣ごもって、誰からも邪魔されまいと願う自由=アフガニスタン・イラク」という図式が成り立つのではないだろうか?そして二つの自由はそれぞれの自由を守るために闘った。「自由のための闘い」というブッシュ大統領の言葉も、あながち間違いではないのかもしれない。きっと、フセイン元大統領も同じことを言っていたに違いない。とにかく、「砂の女」を、もう一度しっかりと読んでみたいと思う。
私の中にある国境という幻想が消えてなくなるかもしれないと、アスワンの砂を舐めてみた。何の味もしない。日本の砂とはまた違う、ざらりとした感触が舌に残っていつまでも消えなかった。
コメント
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以前渡米した時、メキシコとカナダにそれぞれ数時間だったけど越境しました。出国はいたって簡単だけど再入国はとても厳しかった。その頃の東京のカナダ大使館は門は開けっ放しで警備員も立ってなかった。横田にあるカリフォルニア州は銃とフェンスで守られてて敷居が高い。日本の見えない国境も敷居が高そうだ。メキシコはと言えば、the south of border down mexico way かな。
Comment by ターボー — 2005年9月9日(金曜日) @ 21時46分59秒
国境の南。日本にある国境もそんなインスピレーションの湧くようなものなら良かったのにと思います。誰の曲が一番良いんでしょう?
Comment by artNOMAD — 2005年9月12日(月曜日) @ 13時41分44秒
久保田麻琴と夕焼け楽団がおいらは好きです。昔、どこにも属さず境界線の上を歩こう、境界線の上で生きようと斉藤次郎さんが言ってた。ロマンチックでほんとの旅の姿だと思いますがどうでしょうか?つまり移動することも重要な事なんだけど、いつも自分のスタンスや位置を確認する事も旅だと言っているような気がする。
Comment by ターボー — 2005年9月13日(火曜日) @ 20時58分35秒
久保田麻琴と夕焼け楽団聞いてみますね。
斉藤次郎さんよく知らないのですが、昔は、自己|他者、大人|子ども、戦前|戦後、右翼|左翼などなど、そこに境界が実感としてあったのではないでしょうか。今は自殺するように他人を殺す。戦争に反対するために軍備を増強する。自民党が革新政権を気取る。そんな時代で、世界は境界を見失っているように思います。自己を見失う─アイデンティティーの喪失というやつでしょうか?境界が見えれば自分の立ち位置を確認することも出来るのですが、今やそれが出来ない。今回の選挙でも見て取れるように、しばらく二元論がはやりそうですね。
Comment by artNOMAD — 2005年9月14日(水曜日) @ 01時25分01秒
個人的には峠というか山のテッペンでどっちに行こうかなっって迷ったり、高見の見物的感覚かな。ばかと煙は高いとこが好きだっていうから。実際どこに行こうか選ぶのも覚悟がいる時もあるし全部自分に帰ってくる。いつの時代も戦争は身近にあって目の前の平和に惑わされている。これからの境界線の旅も覚悟がいるかも。久保田麻琴と夕焼け楽団、75年頃のアルバムでハワイチャンプルーです。見つからなければ貸しますよ。
Comment by ターボー — 2005年9月15日(木曜日) @ 22時26分39秒
限りなくアメリカに近い福生ブログを通じて米軍ハウスが雑誌に掲載!!
どもっ。
約2ヶ月前のことになりますが、
NIKITAやLEONも話題の雑誌社・主婦と生活社で
『私のカントリー』というインテリア誌を編集していらっしゃる
吉田奈緒子さんからブログにコメントをいただきました。ドキドキ。
(吉田さんからのコメンツ。)
ふむ…
Trackback by 限りなくアメリカに近い福生 — 2005年9月27日(火曜日) @ 20時53分24秒
初めまして。artnomad さんの XOOPS テーマを利用させていただいています。
さて、福生懐かしいです。私もいまから20年ほど前に福生のハウス(ジャパマーハイツだったので住所は瑞穂町でしたが)に住んでいました。当時の近所は大瀧詠一さんや夕焼け楽団のメンバーさん(名前よく覚えていません)が住んでました。週末になると隣家や兵隊の人とバーベキューをやったのもいい思い出です。
いまでは福生駅前もだいぶ変わってしまったようですが(大きなマンションが建ってますよねぇ)、昔はいかがわしい雰囲気満載のクラブがたくさんありましたよね。16号線沿いにもたくさんの楽しいお店があったりして、いまでも好きな街です。
取り留めなくてすいませんでした
Comment by おが — 2005年10月12日(水曜日) @ 17時21分35秒