ロシア・アヴァンギャルド(4)
パリ万博などで西欧にその文化の高さを買われていた日本だったが、その認識は文学、美術。工芸などのジャポニズム流行に留まっていた。英文で書かれた新渡戸稲造の『武士道』が1900年にアメリカで発刊されると、瞬く間に各国で翻訳され、その精神性の高さをも世界に広めることとなった。さらに、日露戦争、特に1905年、対馬沖で連合艦隊がバルチック艦隊を壊滅させた日本海海戦の結果は、ロシアを始め世界を驚かせ、後にロシア未来派の旗手となるヴェリミール・フレーブニコフにも、決定的ともいえる衝撃をもたらした。
一九〇五年、対馬沖でのロシア海軍の敗北である。民族の崩壊という迫りくる予感に捉えられた彼は「時間の法則」の発見と言う奇矯な作業に没頭し、それによってロシアの未来を見定めようと望んだ。同時に彼は露日戦争でのロシアの敗北が、一〇世紀末にロシアがキリスト教を受け入れたことによる民族の弱体化に原因があるとし、ロシアの再生をねがいつつ、スラブ異教への回帰をテーマとした翼賛的な詩にも筆を染めている。
フレーブニコフが、のちに、ロシア未来派運動の原点をこの「対馬」体験にすえ、一九〇五年の年号にこだわりつづけた理由は他でもなく、欧米のアヴァンギャルドの影響を否定し、ロシア未来派の歴史的優位性、そしてその民族的アイデンティティを常に意識していたいという切なる願いに発するものだった。ロシア・アヴァンギャルド
亀山郁夫著 岩波新書 1996年
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