世界コミュニケーションの時代(5)
なぜここで芸術とデザインを区別しなくてはならないか。
「ユーザーインターフェイス」という言葉の裏には、構造や論理を隠蔽するという機能が隠されているーーこれは真実を隠す機能と言い換えることができる。世界は複雑になり、到底理解出来ないという挫折感が蔓延していく。フレンドリーなデザインが世界の全てとなり、現実は強迫観念に変化する。演出が表出にとって代わり、<みずから進んでユーザーという隷属状態の立場に立つのだ。>
デザイン学が、美学に取って代わって、美とは「良い形」だと定義する。しかし、注意していただきたいが、それによって美という問題が解決されたわけではなく、うまく隠されたのにすぎないのだ。だから、われわれは、こう問うことができる。芸術における <フォルムによるゲーム> を、デザインにおける「良い形」から区別するものはなにか?クライヴ・ベルの言うように、デザインのーー使用の文脈において明らかになるーー<良い形> を、芸術の「意味深い形式」から区別することもできよう。良い形は、情報を抹殺する。<意味深い形式> は、さまざまの形式の、一個の枠のなかでの組み合わせを実現する。もっと原理化して言えば、デザインはつねに文脈におけるデザインであり、芸術はつねに枠づけされた芸術である。つまり、デザインが使用の世界から抽象できるものではないのに対して、芸術は使用の世界を捨象しなければならない。<良い形> は、日常的な近くにおいて(物事を[行為者の立場で、つまりファーストオーダーで]見ることにより)明らかになる。<意味深い形式> は、<セカンドオーダーの知覚>(事物を[日常を離れた観察者の立場から]注視すること)へと刺激する。
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