世界コミュニケーションの時代(3)
世界がコミュニケーションとなる時、世界は像として認識され得ず、世界は時間となり、もはや世界の全体像を捉えることはできなくなる、全ては一時的で不確実なものとなり、確実なものはメディアだけになる。人類がその生を謳歌するために手に入れた主体感は失われ、コミュニケーションの主体であるという満足感だけが残る。あらゆる物事はコミュニケーションとなったが、コンセンサスを得ることは困難だ。コミュニケーションは許容することと同義になる。世界コミュニケーションにおいては、原理主義も戦闘もテロも反戦も生産も環境保護もお互い許し合わなければならない。喪失したものを取り戻そうと、部族的コミュニティーが出来上がる。シュミレーションを繰り返し行い、来るべき時に備える。ここではない場所、自分ではない自分、コンセンサスの得られるコミュニティー・・・選択肢は無限にある。そこでは「デザイン」が安心感や、今やるべきことを生み出す。 —未来をデザインすること— デザインはかつての呪術や占いに取って代わる。それはデザインが政治であるということだ。(ソビエトでは芸術が政治となったが、特殊で極端な出来事である事は間違いない。特殊であるからこその可能性を内包しているのだが、ソビエト芸術については改めて考察したいと思う。)
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