世界コミュニケーションの時代(1)
ハイデッガーは『世界像の時代』において、
世界が像となり人間が主体となるという二つの経過の交差は、近世の本質にとって決定的であると同時に、近世の歴史の一見したところほとんど相容れない根本経過を明らかにする。つまり世界が征服されたものとしてより包括的により徹底的に意のままになればなるだけ、客体がより客体的に現れ出れば現れ出るだけ、それだけ一層止め処無く世界観察と世界論が人間の論へ、人間学へと変転する。世界が像になるところで初めてヒューマニズムが始まっても、なんら不思議ではない。
と語っている。
近代の世界認識は「世界像」であり、人間が主体となることによって、ヒューマニズムが生まれる。また、世界は像として計測可能なものとなり、この世界を征服するために人間は闘うことになる。「芸術作品が体験の対象となり、その結果として、芸術が人間の生の表現と見なされる。」あらゆる人々が、主体感を持ち、その根拠として芸術が人間の生の表現となった。
はたして人間はその闘いに勝利することができたのだろうか?
そして、現在の世界認識とはそのようなものであるのだろうか?
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世界コミュニケーションの時代(2)
ハイデッガーと同じドイツ人であるノベルト・ボルツは『世界コミュニケーション』のなかで、
世界コミュニケーションの時代を特徴づけるのは、何よりも、知覚の対象が <世界> ではなく <コミュニケーション> になるといういことである。世界とは、コミュニケートされ…
Trackback by artNOMAD — 2004年9月9日(木曜日) @ 14時27分36秒