2007年10月25日(木曜日)

Propaganda

カテゴリー: - artNOMAD @ 01時35分32秒

第二次世界大戦時のアメリカ合衆国のプロパガンダポスター

ソビエト連邦のプロパガンダポスター

Flickerに第二次世界大戦時のアメリカ合衆国のプロパガンダポスターとソビエト連邦のプロパガンダポスターコレクションがあった。アメリカのポスター2820枚、ソビエトのポスター1469枚という膨大なコレクションだ。

アメリカのプロパガンダっていうのは、今のハリウッド(プロパガンダ)映画同様、やっぱりつまらない。ソビエトのポスターの方が多様で面白い表現がたくさんある。

ちょうど、マレーヴィチの『零の形態』という芸術論集を読んでいるところだが、これまた面白い。唯物論は正誤/善悪の彼岸にあるのだろう。


2007年10月22日(月曜日)

Untitled05

カテゴリー: - artNOMAD @ 02時28分49秒


Untitled04

カテゴリー: - artNOMAD @ 02時27分52秒


2007年10月18日(木曜日)

意見をもつことはたやすい

カテゴリー: - artNOMAD @ 13時17分09秒

『この時代に想うテロへの眼差し』スーザン・ソンタグ
 未来に向けて――往復書簡

 ご存知のように私は作家としての全生活を通じて、公然と自分の立場を表明してきました。アメリカの帝国主義とヴェトナムにおけるアメリカの戦争への反対などの政治的な立場しかり。文化的な立場はあまりにも多く複雑なのでここでは説明をはぶきます。広島・長崎の意味について書き始めたときのあなたがそうだったはずですが、私も立場を表明することは自分の義務だと感じたのです。サラエヴォが包囲されていた何年間にも、そこで自分を役立てる方法を探ることが義務でした。
 それでいて同時に、どう申しましょうか、意見をもつことはたやすい、安易すぎる、という自覚がありました。たとえ正しい意見でもそうです。
 論争の的となっている意見を支持すれば、支持者はいやおうなく有名になり目立ちます。たとえそれがその行為の目的ではなくとも。
 私がずいぶん前に自分に課したことがあります。自分がそれまで知らなかったり、この目で見たことがなかったりする事柄については、けっしてどんな立場もとってはならないと。ヴェトナムでの戦争については六八年と七三年にそこへ行っているので語ることができます。サラエヴォでもほぼ三年間にわたり相当の時間を過ごしました。アルバニアにも最近二度滞在しました。
 善意があっても思慮深くとも、直接の体験の具体性にとって代わることはけっしてできません。リアルなものの衝撃。私たちはフィクションの作家としてこのことを知っているのではないでしょうか。


2007年6月4日(月曜日)

Untitled03

カテゴリー: - artNOMAD @ 00時29分32秒

Untitled03


2007年6月3日(日曜日)

Untitled02

カテゴリー: - artNOMAD @ 01時01分37秒

Untitled02


Untitled01

カテゴリー: - artNOMAD @ 00時36分51秒

Untitled01


2007年5月8日(火曜日)

予定の無い月曜日

カテゴリー: - artNOMAD @ 19時04分11秒

ねねは朝からとても調子が悪そうだった。調子が悪いといっても、苦しんでいたわけではない。

なんの予定もない、ゴールデンウイークの月曜日。なぜか体を洗っておかないとならないと思い、近所のゴミ焼却場に付属する銭湯へ行った。大広間で夕食をすませ、部屋に戻るとねねは焦点の合わない瞳で僕を見つめた。

女房がスポイトで水を飲ませる。ほんの少し時間が過ぎ、ねねは飲んだ水をすべてはいた。小さな声でうなりながらすこし苦しそうにからだをふるわせている。ふるえるその手を握りしめ、背中をさすってみる。その時は突然やって来た。

生と死の境界に時間は存在するのだろうか。遠くをみつめたままのねねの目を手でそっと閉じた。


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